【福音宣教】 わたしはかならず父の家にいる

ルカ241-52

だれでも幼い時、一度はデパートや遊園地で迷子になってしまった思い出があるのではないでしょうか。二人の息子をデズニ―ランドにバス旅行で連れて行った時、閉園時間になった帰りがけ、小学1年生の次男が出口ゲート付近の込み合うトイレで行方不明になってしまいました。途方に暮れた泣いているのじゃないだろうかと心配し、あちこち捜しまわりましたが見つかりません。帰りの夜行バスの発車時刻も迫っており、困っていた時、バスのガイドさんが「小出光輔君のお父さんですか。息子さんがもうバスに戻ってお父さんとお兄さんを待っています」と迎えに来ました。迷子になっていたのは私たちだったわけです。

イエス様が12歳になられた時、両親と一緒に過ぎ越しの祭りのために神殿に上られた時のエピソードをルカの福音書だけが記録されています。ユダヤ社会では13歳で成人式が行われますから、1年前の12歳の時にその準備教育のためイエス様を連れて過ぎ越しの祭りに参加しました。ナザレからエルサレムまで約140km(京都から相生または岡崎)の旅行を、毎年(41)彼らは行っていましたから、両親の熱心さが伝わってきます。エルサレムの住民だけで5万人、世界中に離散しているユダヤ人が祭りのために集まってきますからその数は2倍にも3倍にも増えます。人ごみで混雑する神殿で両親はとうとうイエス様を見失ってしまいました。当時は団体旅行のように村ごとに巡礼団がまとまって行動していましたので、どこかに紛れ込んで帰っていると思いこみ、まる一日旅を続けました。さすがに夜になり宿泊予定場所にもイエス様がいないことに気がつき大騒ぎとなったことでしょう。両親が大慌てで道中を探しながらエルサレムに戻りました。なんと3日後、宮の中で教師たちと話をしたり、質問をしたりしているイエス様を見つけ出しました。マリアはイエス様が教師たちに混じって話を聴いたり質問している姿に驚きましたが、イエス様の返事にさらに驚きました。「なぜ、僕を捜しまわっていたのですか? 僕は自分の父の家にいなければならないことがどうしてわからなかったのですか」。 普通ならば何言ってるの!この子は!と、怒り出すかもしれないところですが、マリアは「これらのことをみなこころに留めて」(51)いました。意味がわからなくても(50)、こころに留めて思いめぐらす・・。早急な結論や答えを求めず、祈りつつ待つ中に、信仰の深みが培われるのではないでしょうか。マリアはそのような女性でした。

1. 雲から差し込む太陽の光のように

イエス様もヨセフもマリアもナザレの町でごくごく平凡な生活を過ごされました。この出来事があった後もイエス様は「両親に仕えられ」(51)「神と人に愛された」(52)とユダヤの一少年として健やかに過ごされた様子が記されています。ルカは「神童イエス」を記そうとは全く意図していません。伝記や偉人伝が記される時には、幼児期から超自然的な能力や才能を発揮して「普通の子ども」ではなかったことが強調される傾向が多くみられます。足柄山の金太郎がクマと相撲をとって投げ飛ばしたなどのように。

聖書が記す幼児期や少年期のイエス様はそういった「神童」としては記されていません。むしろ12才から30才までの18年間のイエス様の生涯は隠されています。聖書が描くイエス様は「神の子でありながら人となられた」お方であり、「栄光に満ちた神の御子でありながら、謙って貧しい石大工の子」として成長されていく姿でした。けれども雲の後ろに太陽がいつも輝いているように、ときおり雲間から太陽の光が地上に差し込んでくるように、栄光に満ちた神の御子イエス様の真の姿が啓示されてきます。ガラス玉の中に本物のダイヤモンドが混じっていればその輝きはガラス玉を圧倒します。人となられたイエスの中に、神の御子イエスの真のすがたを見出した者たちが、信じるのです。私たちと同じように預言者ヨハネからヨルダン川で水のバプテスマを受けられた時、天が開けて「これは私の愛する子、これに聞け」との声が響き渡りました。ペテロヤコブヨハネの3人の弟子たちを連れて高い山に登られた時も、見る間に光に包まれて姿が変わり、神の御子としての栄光のお姿を示されました。マットに寝たままの姿で、イエス様の前に友人たちによって運ばれて来た痛風の病人に対して「子よ、安かれあなたの罪は赦された」と宣言してから病気を癒されたイエス様の姿の中に、単なる病気直し屋ではなく、罪を赦す権威をもつ永遠の大祭司・神の御子イエス様の姿を見出すことができるのです。まことの神にしてまことの人となられ、十字架の死に至るまで父の御心の中を歩まれた御子イエス様の真の輝きと栄光を知ることができるのです。イエスの中に一瞬ひらめく神の御子としての独自性を私たちは信仰によって受けとめ「この方は神の御子である」と告白し信じていくのです。

2. 私はかならず父の家にいる

最初、私は「神殿は私の父の家である」とテーマを考え、週報にもそのように書きました。しかし何度も読むと、ここではイエス様が「私はかならず父の家にいる」という信仰的自覚に幼くして目覚めていたことがむしろ中心テーマと思うようになりました。確かに「神殿は父なる神の家であり、神の名が置かれ、神が臨在される聖なる場所である」ことは、旧約時代ソロモン王が神に神殿をささげた献堂式の祈りの中ではっきり語られました。イエス様も後に神殿において商売が平然となされる光景を目の当たりにして「私の父の家は祈りの家であるのにあなたがたは強盗の巣にしている」と厳しく糾弾されました。つまり神殿の本質がここでは定義されています。しかし、12歳のイエス様の宮での両親への言葉は別の意味を持っていました。

つまりイエス様は自分の生まれた場所はベツレヘム、自分の育った故郷はナザレ、そして自分の両親は大工のヨセフとマリアとわかっていましたが、それ以上に、ナザレにいても、エルサレムにいても、あるいはどこに行こうとどこに住もうと、「私は必ず天の父なる神の家にいる」との信仰的自覚をもっていたということです。ナザレの村で父や母と弟や妹たちと共に暮らしていても「私はいつもかならず父なる神の家にいる」。この信仰的自覚は年齢にはあまり関係ないかもしれません。いや幼い時のほうがその自覚や信仰的な感覚は深いかもしれません。むしろ大人になるにしたがって純粋な信仰的自覚、神の臨在に生きる感性はうすれて、知識的に知的に合理的に神を理解しようとする傾向が強くなり、結果的に神を否定したり、神の臨在意識(神が生きておられる)が弱くなり、感動も感謝も覚えなくなる傾向が強くなるのではないでしょうか。イエス様はその信仰的自覚が成人するにしたがってますます強くますます豊かになられたのです。

「私は必ず父の家にいる」この確信はゆるがない平安をもたらします。どこに行こうとどこに住もうと、どんな境遇の中におかれようと、「私は必ず父の家にいる」「かならず父の御腕の中にいる」「父のみ旨の中にいる」いいえ、「父が私とともにいる」とのインマヌエルの信仰に生かされていたからです。

嵐の中に巻き込まれ今にも墜落しそうな飛行機の中で、落ち着いて安心して座っている少年を見て、隣の席の乗客が尋ねました。「坊や、怖くないかい」。すると少年は答えました。「大丈夫。だってこの飛行機パパが操縦しているもん」と。

これが生きた信仰ではないでしょうか。神へのゆるがない信頼という信仰ではないでしょうか。少年イエスは母マリアに答えました。「僕は天の父の家にかならずいる」と。

神がともにおられるなら何を恐れる必要があるでしょう。平安はここにあります。

  目次に戻る